37歳の妻が膵臓癌で旅立った。

付き合って20年、結婚して14年寄り添った、太陽のような存在だった妻を膵臓癌に奪われました。日々の想いを書きたいと思った時に書いていく為のブログです。

何も感じない

結婚してから14年間毎日一緒にいた妻とお別れしてから9ヵ月が過ぎましたが、背中が温かくなったとか、「あまり悲しまないで」って夢に出てきたりとか、気配を感じたとか、正直何もありません。


仏壇の前でいつもいつも話しかけます。

食べ物をお供えした時も、「美味しかった?食べたい食べたいって言ってたもんね」

とか話しかけるけど、まるでどこにもいないような、まるでただの生きてる人の自己満足のような。

あんなに毎日ぺちゃくちゃ話しながら毎日ご飯食べてたのに。


これだけ何も感じないと、やっぱりいつか会えるという気持ちが保てない。

だからこんなにもいつも悲しいんだろうな...


僕はアメブロで闘病・入院ジャンル、妻が亡くなってからはメンタルヘルスジャンルでブログを書いていましたが、妻が亡くなった後も、有難いことに1.5万人のフォロワーさんがいたので、沢山コメントを頂いていたのですが、皆さんいつも「奥様は傍にいますよ」と言ってくれるのですが、何も感じないとどんなに言われてもそう思えなくて...


あまりにも悲しみが深いと逆に感じづらいとも言いますよね。

子供がいなかった僕達夫婦は、とにかく同性の親友のように仲がよかったので、失った日々の喪失感が半端ないです。



せめて、天国で穏やかに過ごしている姿が見れればなぁ...


そんなふうにいつも思います。




どうか、わんこ達を看取ったと同時に再会の日を。



それが、今考えうる1番の幸せです。



妻とお別れして今日で9ヶ月

9回目の月命日。


今日は、人生で最も絶望を味わった日から9ヶ月が経ちました。


あの日、自宅で目の前で息を引き取った、まだ37歳の若い若い妻の姿が今も鮮明に浮かびます。


癌が発覚してから闘病一年と二ヶ月。


マイホームをや車を売り、更に700万近い借り入れをして、一年程で1300万ぐらいかけて奇跡を信じましたが、癌の王様すい臓癌は生きる事を許しませんでした。


不安や期待、絶望、悲しみ、闘病中沢山の思いをし、そして今は、不安・期待という感情がゼロになり、悲しみと絶望だけが残りました。


月命日を重ねていくごとに少しずつ前を向いて歩けるかと思いましたが、ここ数日の深い悲しみで気付きました。


ただ単に浮き沈みの浮いた状態がたまにあるだけで、今もあまり命日から変わっていない、ここ数日でまた実感しました。


最期の旅行となった宮古島、亡くなる3ヶ月半前。

妻のお姉さんが私達夫婦を招待してくれました。


この旅行の写真とかを見ると、



「なんでもういないのよ!」



って、相変わらず泣いてしまう。



ちょっと最近また疲れたな...



でも、わんこ達がいるからまだまだ生きなくちゃ。



とりあえず、今日も仕事で忙しいので、昨日お花を少し買い足して、あとは、餃子とか食べたいなぁって闘病中に言ってたから、体に良さそうな物以外食べないで頑張るって言って、結局食べたいって言ってた餃子やチャーハン食べれないまま死んじゃったから、スーパーで餃子とカツ丼買って前夜祭しました。



珍来のチャーハンとかを食べたいと言っていたので、今日は仕事が遅くならなければ、珍来のチャーハンと餃子を買って、2人で分けたいと思います。



いつまで経っても、愛しくてどうにもならないです。

生きる目的

こんにちは。


ここ数日、また少し気持ちが落ちてます。


そもそも、妻が亡くなってから今日まで、楽しいと思えるような日はほとんどありません。


あーーーよく寝たな~

なんて日もまだありません。


唯一、家に帰るとわんこ達が寄り添ってくれるので、生きている事が苦痛だという気持ちを和らげてくれますが、やっぱりいつも隣にいた妻が隣にいなくなってしまったこの現実は、言葉で表現できないぐらい辛いですね。



でも、家に帰れば毎日毎日わんこ達が玄関まで大歓迎してくれる。


だから、この家族を大切に守り抜く事が俺の生きる目的です。


あとは、天国で見守る妻を悲しませないように生きていくのが今後の課題ですね。



もうあまりわんわん泣かないように、少しは笑顔で過ごす姿を天国に届けられるように、頑張ります。